2009年8月18日

後悔が自信へと変われるように・・・

平成21年8月18日著 河原 シンゴ


全国津々浦々で地元のおいしい物を食べたり、初めて出会う景色に感動したりした全国公演は、あっという間に過ぎていった。
とても楽しくかけがえのない日々だったのは確かだが、ただ一つ後悔してもし切れない辛い思いをした公演があった。 それは、僕の地元の神奈川県相模原市での公演でのことである。
母校である光明学園和太鼓部のみんな、そして顧問の緒方先生は誰よりも先頭に立って応援してくれた。両親も親身になって手伝ってくれた。
こんなに応援してくれた家族や母校の仲間の気持ちが本当に嬉しかったが、皆の期待に満ちた顔を見た瞬間、悔しい気持ちが溢れてきた。 なぜなら、1年前の神奈川公演の時の自分と今の自分とでは、周りの期待に応えられる程、成長する事が出来なかったからだ。
あの時、「必ず成長して帰ってきます。」と約束したのに・・・・。
そんな僕の気持ちとは裏腹に、部活動の後輩達は僕を見かけると笑顔で握手やサインを求めに駆け寄ってきた。
本来ならば、僕が彼らに励ましの言葉の一つくらいかけてあげるべきなのだが、自分の成長が止まっている事に後ろめたさを感じ、彼等の心に残るような言葉をかけてあげられなかった。
なぜもう一歩前に踏み出して成長する事が出来なかったのだろうか・・・
緒方先生をはじめ母校の仲間は、僕が高校を卒業して8年経った今でも変わらずに応援してくれている。それを忘れていた訳ではない。支えになっていなかった訳でもない。ただ8年という長い時間と自分の精神的な弱さが「応援してもらっている!」という有難味を薄れさせてしまっていたのだろう。


今回の全国ツアーは、僕にとって何よりも大切な事を気付かせてくれた。
沢山の人が、TAOを、僕を、支えてくれている。
それに答えたい!
答えなければならない!
必ず答える!と決めた。
今、その新たな決意ができて本当に良かったと思う。
この「後悔」が来年には「自信」へと変われる様に、もう一度初心に還って、目標を見失わず、掲げた目標を達成して見せる。
最後に、両親へ、緒方先生へ、地元の皆さんへ、もう一度お礼が言いたい。


本当にありがとうございました。

2009年8月 5日

休暇中の出来事

平成21年7月28日著 原口 純一

7月27日 僕は、福岡空港国際線ターミナルに来ている。

TAO初の全国公演も無事に終わり、これから4日間のOFF。
全国ツアーの疲れをとり、ゆっくりと羽を伸ばす貴重な時間である。

この4日間を利用して、TAO恒例の海外研修(通称victory Tour)が模様された。
海外研修(通称victory Tour)とは、最も活躍したメンバーにだけ与えられた権利。
要はご褒美研修である。ご褒美という位だから、その内容も豪華!! 今までにも、ラスベガス・バリなど数々のリゾート地などを訪れている。

そして今回の研修場所は…今、注目のカジノと世界文化遺産を中心とした世界的な観光地『マカオ』である。僕は、マカオ出発の見送りとして福岡空港にやってきた。
…?見?送?り? そう見送りである。
今回僕はその権利まで手が届かなかった。
(ショーが見たかった。カジノがやりたかった。次回のvictory Tourには必ず選ばれてやる。江良さん負けてしまえ。笑)と、心の中で叫びながら一人で寂しくみんなを見送った。

そして久しぶりに実家へ帰省するため車に乗り込んだ。
みんなカジノやショーを満喫してるんだろうな…などいろいろ考えながら僕なりに休みを満喫した。買い物をしたり、うまいものを食べたり、マイカーを洗車したり、家の愛犬と遊んだり、このブログを書いたりと。普段できないことをゆっくりと楽しんだ。


充電満タン。

来月から始まるイギリス・エディンバラフェスティバル。
TAOとしては3度目の挑戦だが、僕は初参加。思いっきり暴れてこようと思っている。
皆さん、日本から応援してて下さいね。

次はいつ帰ってくるのだろうと考えながら、僕は実家を背に、また道なき道を歩み出した。


↓うちの愛犬 『ロビン』
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↓僕の愛車『VW GOLF GTI』
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2009年7月30日

一歩前進へと続く道

相戸 喜代子


7月15日、涼しく肌寒い札幌の地を跡に2ヶ月ぶりのTAOの里・久住へと帰り着いた。
翌朝、久しぶりの久住高原を見渡すと、『私は、こんな美しい広大な高原の中に住んでいるんだあ!』とあらためて感動させられた。そしてこの地より、バチを片手に全国・全世界へと旅をするという生活に、不思議な想いとTAOという存在の凄さに再び驚かされる。


5月14日、全国ツアーの始めに、『相戸でないとダメだ!』と言われる位に必要不可欠なポジションを手に入れたいと目標を掲げていた。
REDの背中を追いかけ、全力疾走してきた二ヶ月。
『碧き風』という篠笛曲のチャンスをもらった私だが、満足のいく演奏が出来なかったのが正直なところである。
入団6年目にも関わらず、REDの前では、いつもの舞台度胸がなくなり、自分が小さくなってしまう。本当に情けなく、恥ずかしいことである。


やはりREDのメンバーたちはすごい。一人ひとりが輝いていて、オーラを放ち、非常に格好良い。全国ツアーで頂いた拍手は『TAO?REDに』であって、私に対するものではない。


八月は、ここ本拠地久住でのYELLOWのみの赤兜ライブが待っている。
そして、こんな私にプロデューサーから特命が言い渡された。
「舞台・楽曲に対する全ての責任者を相戸にする。」
入団して初めて任命された。いや初めてまともにプロデューサーから口を聞いて貰った。
TAO?YELLOWという看板を背負い、自分達が中心となって行う初めてのライブ。
ワクワクが50%と緊張が50%。期待が50%と不安が50%。
正直な話は、やるしかない!と自分に言い聞かせている100%だ。


8月2日、エディンバラへ旅立つREDと次に合うのは、なんと4ヵ月後。
4ヵ月後『おかえりなさい!』『私達も一つ前進しました!』と胸を張って言えるよう、確かな成長をものにしたい。


必ず、REDを驚かせてやる!!

2009年7月29日

過去と紡いで

江良 拓哉


『歴史を知る意味は、未来を考える事にある。
けして過去を知るために歴史をみるのではない。』

NHK番組[その時歴史が動いた]のキャスターを355回目の最終回まで伝えた松平定知さんが、週刊誌プレジデントでこんな事を語っていた。


僕の学生時代といえば歴史の授業中、教科書に出てくる先人達の顔を消しゴムで少し削って、今風の顔つきに落書きし、ニヤニヤ笑っている所を先生に見つかって半殺しにあう…   
っという一連の流れしか覚えていない。まさに歴史というより、その時どれだけおもしろくアレンジ出来るかを楽しんでいた程度だった。

しかしそんなふざけた若者も今、戦国時代や三国志の小説を読む事に喜びを感じている…

(今更ながら迷惑をかけた先生方、ごめんなさい。)

どうしてこんな事を話すかと言うと、実は東京公演前日に厳しいダメだしがあり、ある演目でメイン的ポジションからランクダウンしたのだ。
みんなを引っ張る立場として進めていた練習が、自分達の技術向上というプロデューサーの考えとは違う方向に進んでいた事と、自分達で作ったオリジナルなシーンが、その曲のイメージを壊してきているという事だった。

無念だった。


プロデューサーが僕等に成長の場として与えてくれたポジションを全う出来なかったからだ。
「来月のエディンバラはこれでいく!!」
と演目を発表されたときにもっと早く気付けばよかったのだ…
このままではいけないと…
安心している自分がそこに必ずいたはずだ。

厳しいダメだしはその日、夜の睡眠を奪っていった……

そこで目にしたのが、松平さんの言葉だったのだ。
先人達の成し遂げた偉業とは決して諦めない処にある。
三国志に登場する劉備は諸葛孔明を得るために三度、家を訪ね説得を重ねる。
いわば三顧の礼と呼ばれるもの。
彼らだけではない、これまで歴史に名を残した全ての人が使った諦めない力、彼らの姿を真似るのが今の状況を打破する術になるだろう。
 
元のポジションに戻るなんて決してそんな簡単なことではない。
「人事を尽くして天命を待つ」そのときまでひたすら自分を向上させてみせる。
決して諦めない。
これからも、そしてずっと…


松平さんはその他にこんな事を話している。


「歴史の主人公は人間であり、一人の人が流す
涙、汗、哀歓、愛情が織り成す、
人間ドラマである…」

僕のドラマはまだまだこれからである。

2009年7月27日

期待以上

谷中 宏康


私の想像を遥かに超え、次から次へとお客さんが立ちあがってくれた。

仙台公演、とても気持ちよくお客さんの笑顔に見守られながら幕を閉じた。

実は、この公演に至るまで、プロデューサーから、厳しい色々なダメをもらっていた。
やはり、1人のプレイヤーとして、なんとしても良くない所は直し、舞台をよりよいものにと思うのが当然、音への責任感もある。
ダメを先輩やプロデューサーに言ってもらったからなのだが、今回、演奏しながら感じる事がちがった。
口で表すのは難しいが、舞台上が澄んで見え、色が変わり、皆の音、声がいつになく聞こえてきた。

そんな貴重な事を感じさせてもらった公演のラスト、コールライトで前に出たとき、私の前のお客さんの中に、2人の子が、私に手を振り、ピースをしてくた。

いつもは、皆中央に目線が行き、(くそー)、と、ひそかにいつも悔しい思いをつのらせているのですが・・・
目線を周りにうつすと、ほとんどの人が立ち上がっていた。

何という光景、心から、「ありがとう」

実は、ここでは二回公演をしていました。1回目はクロレラ工業株式会社の貸し切り公演。
前日にクロレラ工業株式会社の方と、交流する機会を与えていただいた。
その交流会の席で、支店長からのことばでした、「TAOさんは、いつも期待して見に行くと、期待以上を見せてくれる。」
とてもありがたく、心に響く言葉でした。
「期待通りではなく、期待以上」
クロレラ工業株式会社もこの思いを胸に頑張っていると聞いた。

情熱というのか、とても熱いものにふれたきがした。

このクロレラ工業株式会社の方々の情熱や、仙台の方々の優しい笑顔とナイスなピース、
みんなの力を借りて、(勘違いかもしれませんが)日常の努力が少し、ほんの少しだけ実り、成長させてもらった。

本当にありがとうございました。

これからも、期待以上を目指します。

2009年7月25日

全国ツアーを終えて

平成21年7月25日著 岸野 央明

全国縦断ツアー。初公演の土地が多いせいか、TAOの事を知らない、もしくは知ってはいるけど見た事は無いという人がほとんどだった。
九州の公演のように暖かく迎えてくれる雰囲気ではなく、面接官のような鋭い目線で、じっと見られている。そんな感じだった。


厳しい面接官たちが、慣れ親しんだ友達のように変わるのは、一曲目が終わる頃からだ。演者も観客も徐々にテンションが上がり、気づけば皆、興奮状態。どこの会場でも、客席とステージが一体となる事が出来た。


この瞬間の空気感を、どう言葉で表現したら良いのか解らないが、その場にいるすべての人がTAO中毒となり、しばらくすると禁断症状が現れる。きっとまた、この空気を味わいたくて、私たちのショーに足を運んでくれるだろう。私もその内の一人で、この瞬間の為に、日々練習に励んでいると言っても過言ではない。最高に楽しいひとときだ。


体は疲れているのだが、良い演奏が出来た日は、興奮していてなかなか寝付けない。
嬉しいことに、今回のツアーは寝不足な日が続いた。

2009年7月25日

右京さん

江良 拓哉


片山右京さんになんとトンカツをおごってもらった!!

東京、神奈川と二回も観に来てくれた右京さんと食事を一緒にする機会があった。
TAOと右京さんとのお付き合いは12年前から始まったらしい。
僕自身お会いしたのは今回が初めてで、とにかくすごいオーラのある人だった。

右京さんの魅力はなんかとても話しやすい。
いつのまにか
「グランディオーゾ内にコース作って、自転車競走しようよ!!」
という話になった。僕はつい、
「オーーー是非やりましょう!田舎道を9年間通った登下校の実力を発揮します!!!」

…………

馬鹿な心意気に乾杯…
とてつもないショボイ発言に自分が驚いた…

輝かしい経歴をお持ちの右京さんに勝てるわけもなく、しかも一度その自転車競走にチャレンジしたリーダーの水藤さんは、「所どころ斜面が90度近くてねぇ?、俺もう自転車から降りてゆっくり進んだんだけど、それでも危なかったもんね?」
と、無傷で帰還したリーダーの武勇伝を聞いた。

(90度!?)

何を根拠に思ったのかみんな「江良君ならいけるよー」と崖から突き落とすような後押しを頂いた…


そんなこんなで一人を除いて話しが盛り上がり、気付けばとんかつ定食二食分、米三杯分、大盛りサラダ二皿を平らげていた。
隣に座っていた滝さんはその倍ぐらいは食べていただろう…
残すわけにはいかないオーラが伝わってきて、僕もなんとかそれに続こうとした。
「こんなに綺麗に食べて頂いてありがとうございます」
トンカツ屋のおばちゃんも喜んでいた。
いや??ホントに美味かったっす!


これから右京さんは南極の山を登るらしい。
自分を高めるために過酷な地を選んで挑戦する姿はさすがです。
飲み物は雪を溶かし、バックのなかは、洋服のタグをも切り落とし、少しでも軽くして、その分食料が入るようしていくらしい。
本当に笑えないくらい危険がいっぱいだし、人間の限界を感じる…
まさに映画【バーティカルリミット】状態なのだろうか。

右京さんのチャレンジするものは常に死と隣り合わせ。
己の限界に挑み続ける右京さんのコースはどこまでも続いている気がしてならなかった。

手を振りながら車でその場を後にする。
忘れてはならない… 
次お会いするときは僕のバーティカルリミットが待っている……。

2009年7月22日

クロレラ工業株式会社

岸野 央明


TAOの強力なスポンサーでもある、クロレラ工業株式会社。
私の大好きな会社だ。
もしTAO以前に出会っていたら、間違いなく履歴書を送っていただろう。


目が生き生きとして、声に張りがある。社員全員、仕事に対する自信と誇りが、全身からにじみ出ているといった感じだ。
何をするにも全力投球で挑み、何事にも妥協しない強い精神。
怒る、泣く、笑う、喜ぶ、大人になったら誰もが制御してしまう感情を素直にさらけだせる環境。
一言で表現すると“熱い人間の集まり”。
太鼓こそ叩かないが、私たちと共通する部分が非常に多く、私に与えた影響は大きい。

 
仕事を仕事と考えず、お客さんに元気になってもらう事だけを考え、実行すれば、自然と結果もついてくる。そればかりか、お金を出して商品を買ってくれたお客さんからは、ありがとうとお礼を言われる。みんなが幸せになれる魔法ですよ。
こんなすてきな話を、打ち上げの席で聞かせてもらった。


 
私の仕事は、良い曲を生み出し、新しい演技に挑戦すること。そしてステージの精度を上げ、自分自身のスキルを向上させることだが、目的はあくまでもお客さんに楽しんでもらうためであり、元気と勇気をだしてもらうため。
この気持ち忘れず、今後も精進するつもりだ。


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2009年7月21日

全国ツアーの産物

森藤 麻記

TAOの衣装制作に関わらせてもらって10年。


始めは小さな小物から。そして、既製服を活かしたリメイクやコーディネート。
徐々にオリジナル衣装の制作へと変化して来た。


失敗は数えきれない。発案から制作まで数ヶ月の期間を要し、実際舞台に上がったのは一日だけ・・・、なんて作品もいくつあるだろうか。


「良くないものは絶対に舞台へは上げない。」
これがTAOプロデューサーの変わらぬ信念。


いや?、たいがい迷惑をかけました。だってそこにはお金も労力ももの凄い量かかっているのだから。それを良くないと一言でばっさり切ってしまう勇気。今はようやくその考え方が自分にも少しずつ芽生えて来ましたが、昔はもったいなくてしょうがなかった。「ちょっと待った?。と叫びたい気分でした(笑)。」


なので、衣装の内容が変わり動き出すツアーの前半はいつ駄目が出るかと爆発寸前の心臓を抱え袖から衣装の出来を確認する日々。
舞台で本格的に動き出すと見えてくる修正点を改善すべく、ツアーの前半は常にミシンも持ち歩いている。

ツアーが中盤に入ると流石に大幅な変更点はなくなってくるが、不足しているイメージ追加のため、プロデューサーより部分的衣装制作の提案が出た。(箏をひく際に女性らしいイメージを膨らませる為、袖を追加する。とか、笛のシーンに相応しい羽織り物だとか・・・)
確かにこの部分は、密かに気になりながら余裕がなくツアーのスタートまでに間に合わせきれなかった部分でもある。少しでも気になるところは200%の確立でプロデューサーから指摘を受ける。非常に悔しいのだが未だこのスピードにはついて行けていない・・・。


ツアー中、提案された衣装についてどんなイメージでどんな作りのものがいいか衣装を担当する他のメンバーと話合い、ラフスケッチを起こす。
プロデューサーからスケッチでのOKが出るとインターネットやホテル情報で生地屋を探し材料を求めて出かける。


移動日も少しでも時間があれば、ランニングを兼ね布屋まで走る走る走る。
びゅんびゅん走って、布屋の中も走る勢いで威勢良く見てまわる。

学生の頃、先生から「生地は生もの」と言われていた言葉を思い出す。
生地にも旬があるし、店によって置いてある品物が違う。確かに日本狭しと言えども置いてある生地は驚くほど違った。それを実感した今となっては違う街に行けば、生地屋まで走らずにはいられない。
いい生地を見つけ出した時は宝物でも探し当てたかのような嬉しさに包まれる。プロデューサーに電話で確認することもあるが、「いい生地見つけたんですけど。」という言葉に対し、「じゃんじゃん買っとけ」と言われるだけで、価格のことや内容を聞かれた事は一度も無い。とにかく「いいものを作れ」という終始一貫した考えなのだ。この器の大きさには毎回感動するし、予算も決められず、こんなに伸び伸びやらせてもらってもらえる事に本当に感謝している。
勿論その分プレッシャーは大きいし、チープな物を選んだりすれば、「このケチ!!」と3年は言われるのを覚悟しなければならないのだが(笑)。


ちょっと話がそれてしまったが今回のツアーで、こうして手に入れた生地やパーツは、TAO衣装部の手により染められたり刻まれたり、更なる加工を施され一つの衣装となっていった。
福岡、名古屋、東京、仙台で仕入れた生地と小物でツアー中に完成した衣装。生地屋を探し、その布やパーツとの出会いにも各地で様々なドラマがあった。たった3点の羽織ものと2つの袖ではあるが、各地の思い出が詰まった全国ツアーの産物である。

そして次は、新たな衣装制作に向けての材料探し!!
ちょっと癖になりそうである。

2009年7月20日

全国ツアーを終えて

7月17日 政所 和幸

今回の全国ツアーの中で、感じたことを3つに分けて、ここに書き綴っていこうと思います。


1つ目は、お客さんの反応です。九州を出て日本各地に飛び出していったとき、客席の空気の違いを感じました。九州の中では、公演を見に来ている人のほとんどがTAOを知っていて、演奏が始まってから終わるまで、ずっと暖かい空気に包まれている感じがしていました。しかし、九州を出て、主要都市圏に入ってくると、お客さんの目は、どこか、じーっと、固唾を飲んで見守っているような感じでした。まだまだ、TAOの演奏を見たことのない人が沢山いる、もっと我々を知ってもらうために頑張ろう!!そう強く思いました。


2つ目は今回のツアーで特に緊張した公演先についてです。特に緊張した公演は大阪公演です。公演が行われるその日まで僕の中の思いは、どこまでも膨れ上がりどうして良いのか分からなくなるまで緊張しました。それは、4年半お世話になった和太鼓倭のメンバーがこの公演を見に来るからでした。およそ3年前、僕は、この和太鼓倭を辞めて、ここTAOに入団しました。和太鼓の世界、この業界のことを何も知らない自分に、本当に手取り、足取り色々なことを教えて頂きました。色々迷惑をかけ…、今の自分がここにいられるのは、あの時代があったからだと思っています。そして、本当に感謝しています。今の自分に出来ることは、ここTAOで一人の人間として、1アーティストとして、しっかり、着実に成長していくことだと思っています。


3つ目は、TAOの中の素晴らしい人についてです。TAOの中で本当に素晴らしいと感じる人…それは、滝良平さんです。今回のツアーの中での滝さんの行動でさらにそれを感じました。常に堂々としていて、凛とした強さを持っていて、心が座っていて、前に向かっている。頭の中の整理もされていて、社長からの厳しいダメ出しに対しても、その場で即座に考え解決する。しかし、少なからずこれは、滝さんだけでなく、他のREDのメンバーも皆、それに近い精神性を持っています。
僕はいち早く自分の役割を明確にし、アーティストとして本来どうして行きたいのか、そのあたりをもう一度、初心に振り返り、考えて行きます。そして、またこれから、このツアー終了後、大きく待ち構えている、TAO・YELLOW 赤カブトライブに向けて、準備を進め、来ていただくお客さんの心を感動の渦に巻き込めるように、全力で取り組んで行こうと思います。

2009年7月20日

好きこそエンターテイメントの神髄なり

黒柳 夏子


沢山の感動と、歓喜の声を巻き上げた2009年「浮世夢幻打楽?序の絵巻」全国ツアーが、昨夜ゆっくりと北海道にて幕を閉じました。
地元大分県から始まったツアーは、約二ヶ月間。遠い昔のような気がするけれども、つい最近のような気もする、凄く複雑な気分にまだ包まれています。


今までにない過酷?なツアーは、全国各地で沢山の人々に出会うことが出来ました。
大阪で5年ぶりに再会したダンサーの方とは、熱いハグを何度もかわして互いの近況を語り合いました。東京と仙台で半年ぶりに会った昔のメンバーは、何も変わらないテンションで片付けを手伝ってくれました。
今日の北海道では「凄い体力ですね、格好良かったです!!」と、初めて見た私達の演奏に興奮気味に、冷えた水を渡してくれた楽屋スタッフさんがいました。(他にも沢山の出会いがありましたが、ここでは書ききれないのが残念です。)
初めて会う人も、久しぶりに会う人もTAOが好きでたまらない、と全身のオーラが伝えてくれます。私も、みんなが好きでたまりません。
好きという気持ちは、それだけでなにものにも代え難いパワーを生み出す事が出来ます。自分たちの奏でる音楽で誰かを幸せにしたい、そう好きな人たちの為に!それこそが、エンターテイメントの神髄で、本当のところではないだろうかと、今回のツアーで改めて実感しました。
アンケートに「髪を縛ったお姉さんの笛が上手でした。」そう絵まで書いてくれた仙台の小学生の女の子の為にも、まだ私達の演奏を感じていない人の為にも、また来年も再来年も、全国ツアーがしたいなと思っています。


2009年、全国ツアーは終幕ですが、「浮世夢幻打楽」という絵巻は、まだまだ終わる事はありません。常に進化し成長して行きますので今回見逃した方は、是非次の機会に来て下さいね!!


今回のツアーで出会ったみんな、大好きです。ありがとうございました!!

2009年7月20日

拍手の感じ方

岩谷 あすか


『あっという間だったなぁ』


帰りの空港に向かう車の中で、全国ツアーを振り返った私の頭に浮かんだ最初の言葉がこれだ。 地元九州はもとより、沖縄から北海道までの公演をひとつひとつ思い出してみると、本当にたくさんの人たちに助けられてきたんだなぁということが、しみじみと感じられる。
プロモーター、後援会のみなさんや、会館のスタッフ、バイトさん、そして、音響・照明・舞台監督など顔なじみの皆さん・・・挙げればキリがない。が、今回思い返す中で一番心に残る人は、種子島小学校の子どもたち・・・。
始めのうちは、初めてみる太鼓にどう反応したらいいのかわからなかったようだけど、MCで「すごいと思ったら拍手してもいいし、思ったことを素直に表現していいですよ。」と言われたとたん、次の夢幻響(エア太鼓)から、構えが揃えば拍手、クルッと回れば拍手、事あるごとに「かっこいい??」「すご?い」という声と共に拍手が(笑)。箏が鳴れば「キレイな音ぉ?」といって拍手。滝さんが大太鼓を汗だくで打ちならせば、「ガンバレーー!!」という声が方々から上がって拍手。もうメンバーはその素直さと可愛さに、思わず顔がにやけながら、一緒になって大太鼓にエールを送っていた。ステージからみた子供たちの顔は、すごくキラキラしていた。嬉しくて、こっちまで笑顔になる。


どのステージでもそうだが、あの拍手を浴びると、頑張ろうと思う。ステージに立たせていただいているありがたさと喜びを感じ、“早く私も主力メンバーに、REDになりたい”と思う。きっと、主力メンバーになってから受ける拍手は格別なんだろうな。


早く、REDになりたい。


今、目の前にあるのは8月の赤兜LIVE。
こんなに若手ばかりのメンバーで、なにかをするというというのは初めてで、不安も多いが、絶対に良いイベントにしたいという気持ちでいっぱいだ。私はこのメンバーの中では先輩側になる。私自身、もっとしっかりし、もっと強くなって、チームをまとめていきたい。それができた時には、きっと拍手の感じ方も少しは変っているだろうか・・・。

2009年7月19日

小さな「種」

水藤 義徳


TAO初の全国ツアーが終了した。
僕は今札幌市内のホテルで、一人このブログを書いている。


今回、日本列島を縦断して学んだのは『まだまだスピリット』である。
・・・勝手に作った言葉なので説明してゆくと、『九州から一歩外へ出てみるとまだまだTAOの知名度は低く、集客数が500人前後という会場がいくつか有った。
九州圏内で満席の客席に慣れていた自分達は、まさに《井の中の蛙》だった。
ここはひとつ初心に戻り、「初めまして、宜しく御願いします。」と言う気持ちでその時にできる最高の舞台をお届けする所からスタートしよう。


TAOが思い描いていた“全国制覇”を達成するには、まだまだ時間が必要。
九州でゼロからやって来たように、全国で演奏する場所がもっと欲しい。
まだまだ物足りない。まだまだツアーを終わらせたく無い。』


以上、こんな気持ちをまとめた一言が『まだまだスピリット』である。


現在TAOは、海外でも精力的に活動を続けている。
日本国外に向けて情報を発信し続ける事も大切なのは判っているが、さて、自分達の足下は大丈夫なのか?という考えも同時に浮かんでくる。
今までは九州こそが我々の基盤だと考え、それで充分だと思っていた。
しかし、全国ツアーを経験した今、それは狭くて小さな考え方だったのではと感じるようになった。
九州の皆さんに支えられて16年、遂に全国へ向けて走り出す時期が来たのだ。
勿論、今まで通り地元・九州のみなさんを大切にして行きたい。
海外でも同様に、TAOを待ってくれている場所が沢山ある。
そのうえで、日本中を駆け回って行くのだ。


今回の全国ツアーは、いわば『TAOと言う新しい花の種まき。』
しばらくは『まだまだスピリット』と共にこの種まきを続けて行きたいと思う。


最後に断言しておくが、今回のツアーで、いい加減な気持ちで種をまいた場所は一つも無い。
近い将来、この小さな種が芽となり、各地で立派な花を咲かせてくれるだろう。
僕は今、疑いも無くそう確信している。

2009年7月19日

見ないつもりで

河原 シンゴ


2009年度の研修生が入団してから4ヶ月が過ぎようとしていた。例年3ヶ月以内に1人か2人に減ってしまうのだが、今年はなんと1人の退団者も出さずに頑張っていたのだ。


まだまだ体も細くてツアーに同行しても仕込みの段階で体力を使い果たしてしまい、リハーサルと本番で一曲演奏するのが今の彼らには精一杯だった。そういう僕も、彼らと同じかそれ以上についていけてなかった様な・・・。


そんな彼らにTAOの一員としてお客さんの前で、約1時間の演奏を披露するチャンスが訪れた。TAOの里での赤兜ライブ、それも1ヶ月に及ぶロングラン。
数年前まで行っていた「TAOの里 GRANDIOSOライブ」が今度は新しく建てられた「赤兜」というステージに場所を移して再開する。
僕等が九州や全国ツアー中の久住では、基本から練習し、ビデオを見ながら先輩達の演技を研究し、日々前進を続けている彼等がいた。

ある一人を除いては・・・。


朝は、夜露の残る芝生を横目に、時には穏やかで時には鋭く体を押し戻す風を切って山々を駆け抜ける。
夕方からは、昼間の作業で凝り固まった体と会話する様にストレッチをし、一つの衣装作りと言っても決して過言ではない程、自分の限界に挑戦する筋力トレーニングを行う。そしてようやくバチを握るのだ。しかし、まだ太鼓に向かわず素振りが始まる。1時間近く鏡に映る自分と向き合ったら、ここからはじめて太鼓を打てるのだ。そんな過酷な毎日に楽しささえ感じ始めた彼等を、突然の事故が襲った。


7月の初旬、一人の研修生がTAOの里敷地内のある階段から転落。足首の骨が折れてしまったのだ。1ヶ月後に迫っている演奏はどうする?
幾つかの病院に診てもらった結果、やはり完治までには3ヶ月かかると言われてしまった。足の使えない研修生に何が出来る?僕だったら・・・?


彼が病院から久住へ帰ると、すぐさま「治るまで家に帰るか?久住に残るか?」の選択を迫られていた。もちろん即答で久住を選んでいたのだが、それでも・・・。
どんなスポーツや仕事にも、体のトラブルは付きもの。ほとんど先輩達はそれを経験し、克服して今の自分の体を支えている。入団したばかりの彼はそれをどうやって克服するのか?または向き合っていくのかが問われていた。トラブルを抱える事によって浮かんでくる自分の欠点もあれば、その時期に集中的な鍛え方が出来る筋肉も見えてくる。
考え方によって、トレーニングは無限に存在するのだ。そこに彼が気付いてくれれば良いが・・・。

  
今日も明日も研修生達の練習は続く。確かな目標に向かって進んでいく。間違いなく差はつく。
しかし、その中で出来る事なら1曲でも2曲でも良い。自分の出番を勝ち取って欲しい。今はまだ優しい言葉をかける気 にならないけど、いつかきっと同じ舞台で演奏出来たら嬉しいな・・・って一言で「応援する」とは違うんだけど、「見守る」?というわけでもないし。だから同じ過ちはしてほしくないからついつい厳しくなってしまう。


彼を生まれた時から見てた自分としては、今同じ「夢」に向かってる事自体が「夢」なんじゃないかって思う時がある。

2009年7月17日

この場所に…帰ってきます!!

原口 純一


7月7日 渋谷 C・Cレモンホール(旧 渋谷公会堂)。
ついにこの日はTAOがいた心待ちにしていた日本の中心『東京』での公演だった。
コールライトと共に、鳴りやまない拍手とオールスタンディングの客席。そのお客さんの拍手が何よりも成功の証だった。この瞬間、汗を拭きとるかの様に自然と目頭を押さえている自分がいた。
『必ずこの場所に帰ってきます。』そう心の中で叫びながら、幕がゆっくりと閉じて行った。
帰ってきます。そう叫んだのにはもうひとつわけがあった。


この公演の前日、MAORIのセンターから外れた。
入団4年目にしてようやく掴んだチャンスを、逃してしまったのだ。今までTAOに入団して幾度となくポジションを外されたが、今回はどんな時よりも悔しかったし、情けなかった。
プロデューサーから頂いたせっかくのチャンス。それを自分が不甲斐無いばかりに…。
精神の弱さ、向上心、プロとしての意識、そして責任感。すべて今の自分自身に足りないもの。しかし、プロとしては絶対必要不可欠なもの。
『プロとしてその人から自然と湧き上がってくるオーラやカラー、存在感を今のお前たちからは何も感じない。』
その言葉がすべてだった。そんなつもりではなかったのだが、どこか今の位置に落ち着いていた自分がいたかも知れない。自分に甘すぎた。それが今回のすべてだと思った。


今から、今日この日から甘さを捨て、もう一度原点から見直そう。


『必ず、この場所に帰ってきます。』


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2009年7月17日

篠笛という楽器

相戸 喜代子


TAOに入団して六年、笛を初めて手にして五年の月日が流れる。


私は今まさに笛の曲に出させて頂いている。
笛の曲と言っても、TAOのFESTAやQueenのように太鼓と笛のテンポとノリの良い曲ではなく、笛に組太鼓の伴奏があるだけという、まさに笛がメインの『碧き風』だ。


愛知公演がデビューで、今回二度目となるここ大阪の舞台。
TAOのエンターテイメントというステージで、篠笛を用いて自分がどう表現し、お客さん一人ひとりの心に届けるかが最大のテーマである。

ところで、篠笛とは、篠竹に唄口と指穴をあけただけのいたってシンプルな楽器。吹けば鳴る、と言えば簡単だが、太鼓や管楽器、弦楽器がそうである様に、その楽器が持つ芯のある音を鳴らすには、一筋縄では行かない。そして、心情がおもむろに音に代わって出てしまうので、純粋な心で吹かないと楽器自身も鳴ってはくれない。

自分たちの住む久住高原に吹き渡る大自然の風をイメージして作られた『碧き風』は夏子さん作曲。

今まで夏子さん、西さんという大ベテランの先輩方の演奏にポーンと加わるのだから、プレッシャーも並大抵のことではない。
はっきり言って、まだまだプロとしては取るに足らない私の笛技術に篠笛がどう答えてくれるか。先輩達の音にミックスした音を客席にどう伝わるか。本番前の私は、正直、98%の緊張と2%のワクワク感でまだ余裕がない。

・・・風にも流れがあり、抑揚がある。吹き渡った後には、空気の匂いと間が漂う。そんな風をフレーズにのせて、聴かせる笛の音をはやくお客さんの心に浸透させられるようになりたい。そんな夢を心に抱きながら、私は今日も笛と語らい、吹き込んでいく。


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2009年7月17日

TAOの「友人」

水藤 義徳


格闘家、コピーライター、ラーメン屋さん、サウンドディレクター、建築家、F1レーサー、ピアニスト、写真家、プロモーター、ボディビルダー、楽器屋さん、舞踏家、ヘアデザイナー、音楽TV関係者etc・・・。


今ざっと挙げてみて驚いたが、これだけ多彩な肩書きを持つゲストが7月7日・TAO東京公演会場のC.C.レモンホール(渋谷公会堂)へ駆けつけてくれた。


「なぜTAOはこの人と知り合ったのか?」と思う方もいらっしゃると思うが、実はお互い、大きな共通点を内に秘めているのだ。

今までTAOの里に初めて足を運んでくれたゲストに対し、私達は感謝と挨拶の意味を込めてミニライブを行ってきた。
そして本音で語り合い、お互いをさらけ出して行き、時には酒を酌み交わし、久住の美しい星空と感動的な日の出を共に体験した。
TAOの里を後にする頃には、お互い大きな夢を追いかける仲間として固い握手を交わし、再会を約束してきた。

そんな出会いの繰り返しのおかげで、私達はたくさんの偉人とご一緒させて頂き、話を聞く事で多面的な考え方を学ぶ事ができる。
皆さんはTAOにとって大切な「友人」であり、かけがえの無い財産です。

私達にはこのような「友人」が日本中に沢山いるわけだが、終演後、次々と楽屋に訪ねて来てくれる皆さんの笑顔を数えてみると、圧倒的にこの東京エリアに「友人」が集中している事に気づかされた。
やはりここは、日本の中心。皆さんもこの第一線で、いつか聴かせてくれた夢を追いかけ続けているのだ。
我々も大きな夢に向けて更なる努力を重ねてゆこうと思う。


「今後もお互いに刺激し合いながら、一つの道を突き進んで行きましょう。         
今夜は本当にありがとうございました。」


・・・次回も更に皆さんを「あっ」と言わせてみせます。


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2009年7月16日

込み上げる思い

岩谷 あすか


大阪に着いた。明日の大阪公演に備えての前ノリだ。

私にとって大阪はちょっと特別な場所だ。

というのも、私がまだTAOに入ったばかりだった頃、新人の登竜門とも言える北島三郎さんの舞台に初めて立たせてもらったのが、ここ大阪なのである。
一ヶ月間、ほぼ毎日ある公演の中で、先輩と一日交代で出演させてもらった。自分の出番のときは先輩に観てもらってアドバイスをいただき、そうじゃないときは先輩の演技を袖から観て勉強させてもらうという、とても有意義な経験をさせてもらった。今思えばこのとき、舞台の楽しさ、厳しさ、モチベーションを維持することの難しさといった、プロとして最も大切な基本的精神を学ばせてもらった。
今年、9月に久々に北島三郎さんの公演に参加させていただくことになっている。昨年はTAOの海外公演に参加させてもらったこともあり、約一年ぶりの北島三郎公演だ。気付けば私にも後輩ができ、ついていくばかりだったあの頃とは違って、自分が引っ張る側になった。今回が初参加となる研修生も連れて行くことになっている。あの時私が学んだことを、今度は私が伝える番であり、私もまた、あのときには感じられなかったものを学ばせてもらうつもりでいる。

そしてなにより、私は今回、北島公演の花形・大太鼓を任されることになっている。今まではほとんど男性しか任されたことがなかった北島公演での大太鼓。唯一女性で任されたのは、TAOの主役・西さんだけである。このパートを任されたというのは、今回の結果次第でこの先の私にとって大きな意味を持っていることは間違いない。昔から抱いていた思い・・・『女性だから、背が低いからということで負けたくない・・・力強くも、女性ならではのしなやかさのある大太鼓を打ちたい』という、私のうちに溜め込んでいたものが沸々と込み上げてくる。


全国ツアーも約半分を終え、それが終わると一ヶ月間、久住でのYELLOW赤兜LIVE。北島公演まではまだまだやるべきことがたくさんあるが、REDの皆と一緒にいられる時間も、もう残りわずかである。今のうちに学んでおくべきことを、この残り少ない全国ツアーの中で学び、吸収していきたい。


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2009年7月16日

新しい風

黒柳 夏子


風が吹く、さやさやと頬をなでて碧き風が会場中を吹き抜けて行く。


今回のツアー、名古屋公演からハーモニーに相戸喜代子が加わりました。
今まで、何度かの挑戦で篠笛の3重奏や4重奏をしてきましたが、今までにない5本調子でのハーモニーは演奏している私達でさえ心を動かされる何かが出来上がりました。
本来日本の楽器は、同じ楽器でも少しずつ音程が違ったりします。勿論、演奏する人間によって変わったりもします。太鼓のベースの音程も、その日の湿度によって微妙に変化をするので、なかなか難しい部分があります。


毎日毎日、一緒に吹いていた私と西さんの中に違う感性の彼女が入る事によって、良くなるのかはたまた悪くなってしまうのか・・・やはり最初は心配でした。今まで、元気なイメージで艶というよりも、跳ねるような真っ直ぐな笛を吹く彼女の音がどれだけ成長出来るのか、私達も今まで以上に抑揚を感じてもらえる様に体を使って表現出来る様に練習を重ねました。
ツアー中の練習は。なかなか場所がないのでもっぱら車の中で行いました。
どこでどんな風に音を聞かせたいのか、この音は何を表現しているのか、話しては吹く事の繰り返しで、段々と「風」は膨らんで来た様に思います。


この風は、全国ツアーから始まりましたが、まだまだ勢力は増しています。
最高の風が皆さんの耳もとに届く様に、今日も吹き続けています。


新しい「碧き風」を、三人のハーモニーを是非皆さんに聞いて欲しいと思っています。


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2009年7月16日

胸に刻み込まれたもの

7月16日 原崎 太郎

TAOに入団して5年目。これほど一つ一つの公演が強く心に残った1ヶ月間があっただろうか。


TAOにとって初めての公演地を多く回った。ショーが始まる前の、緞帳の降りた舞台の中で感じる今までにない緊張感。「どれくらいのお客さんが来てくれているんだろう」「TAOのショーが受け入れられるだろうか」「自分たちが伝えたいものを余すところなく、このシビアな眼差しの中で表現できるのだろうか」・・・。最後の公演地、北海道・札幌で幕が上がるまで、毎回この緊張感は続いた。ただ、矛盾に聞こえるかもしれないが、不安はなかった。「絶対に大丈夫。」どこかでそう信じていた部分があった。
そして、アンコール曲のQueenが終わりコールライトで整列した時、すべては杞憂だった事に気付かされる。


もちろん、すべて納得のいく演奏ができたわけではない。途中、何度もダメ出しをされ、あまりの不甲斐なさにパートから外され、プロデューサーからも「今日の演奏はひどかった。」と叱られた事もあった。公演アンケートにも、観に来た方からの助言、苦言も多々あり反省する点も多かった。しかし確実に、全国に新たなTAOファンを増やすことが出来たという実感があったのも事実だ。その新たなTAOファンの人たちが、知り合いまたその知り合いへとバトンを渡し、次回の公演へより多くの人が足を運んでくれたらこんなにも嬉しいことはない。

そういった、人と人との繋がりを強く感じることが出来たのも、今回のツアーの大きな収穫だった。


ツアーに先駆けておこなった、全国プロモーション行脚で出会った各地のプロモーターの方々。TAOをその土地の人たちに紹介し、より多くの人たちにTAOを観てもらおうと奮闘して下さったこの人たちの努力がなければ、こんなに多くのお客さんが来てくれる事はなかった。九州以外ではまだ無名のTAOを必至に応援してくださった方々に、公演当日に再会する喜びは本当にひとしおだった。

また、退団はしたがTAOとして志を共にし、たくさんの経験を共有した元メンバーと各地で再会出来たのもいい刺激になった。彼らは、退団し別の道を歩むことを決めた今でもTAOを応援してくれ、各々の場所でTAOを色んな人に紹介し、公演当日には搬出入の手伝いに駆けつけてくれたりした。
TAOというグループが生み出す人と人との繋がり、そして、いかに自分たちがたくさんの人たちに支えられているのか、という事を改めて強く感じさせてくれた。


全国ツアー最終地の札幌で、TAOの大支援者である方から公演前日に招待された、食事会でのプロデューサーの一言。


「このお礼は演奏でお返しします!」
この言葉に、今ツアーのすべての思いが込められていたような気がした。
TAOの舞台もすべて、人と人とが出会い、繋がり、産み出されたもの。この気持ちだけは絶対に忘れてはいけない、そう思った。

2009年7月16日

全国公演を終えて

原口 純一


全国15都市を周る全国ツアーは、北の大地 札幌を最後に幕を閉じた。


今回TAOにとって初の試みとなった全国公演。果たしてこのツアーは、成功だったのだろうか…お客さんがスタンディングで拍手を送ってくれた。心から笑顔でありがとうって言ってくれた。本当に嬉しかった。しかし、お客さんの反応も大事だが、本当の判断は自分自身が今回どう感じたかで決まるものだろう。


ツアー中盤戦で演目から外れた。ようやく掴んだポジション。悔しかった。情けなかった。
自分の実力の無さ、責任感の弱さ、精神力の弱さ。自分の足りないところが、どんどん見えてきた。
今のポジションに落ち着いてしまっていた事。自分に甘すぎた事。今考えると本当に情けなくてしょうがない。しかし今更悔んだところでどうしようもないだろう。
(しっかりとした目標を持ってこれからどうするか、どう進むか)
大事なのはここだろう。


このツアーで一つでも学ぶ事が出来たのは、成功だったといえるだろう。それとは反対にこれから向き合っていく課題もある。
正直、今の僕は、TAOとしての何か大きな存在感や役目があるわけではない。
プロデューサーからも言われたのだが、『絶対的な技術、表現力。TAOの中にこれを身につけたプレーヤーが増えればTAOは更に大きくなる』 その言葉通り、今自分に一番足りないものはそれではないか。…そう今回のツアーで身にしみて感じた。全国公演の成功はきっとこれからの僕にとって大きな意味をなしてくると思う。

今回ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。次回は友達や恋人を誘っておいで下さい。そうすれば来年こそは全会場SOLD OUT。追加公演決定。みたいな事になったりして…。


よろしくお願いしまーす。

2009年7月16日

先見の明を持って計画を実行せよ

本田 篤芳


7月14日、今日この日を迎えTAO LIVE 2009 JAPAN TOURが完結した。
約2か月に渡るツアーは、自分自身を見つけるためにプロデューサーやREDの先輩方からから多くを学び、様々な土地の人と出会い、お客さんと感動しあい、人として僕を変えてくれた。


僕は全国ツアー始めの奄美の海で心に決めたことが一つあった、「常に自分に問いかけ、常に前線に立ち続けること。」 例え厳しい状況に見舞われようが、その場から逃げ隠れすることなく向かいあうこと、そうでないと自分を変えることはできないと奄美の夕日が教えてくれた。すべてはお客さんに喜んでもらうために。
ツアーCAST16名の中で僕が一番年下であり一番後輩である。傷つき打ちのめされたこともあったが自分にしかできない何かがあると信じ、立ち向かってきたつもりだ。だから弱気でいたら絶対に立ち向かえない、それも一つの勉強。いかに物事に対処して生きていくか、本気かどうか試されていた。舞台でも同様、舞台に立って100%の力を出すためにすべてをかけて立ち向かう、あとは本能のままに演じること。全国ツアーを終えて本当の自分がやっと分かった、経験を通して真実を知ることができた。不可能はないということ。

「先見の明を持って計画を実行せよ。」


全国ツアーは終えたが、TAOの幕はまだ閉じていない。我々YELLOWには「赤兜LIVE」がある、残る時間はわずかしかないが覚悟はできている。全国ツアーで経験させていただいたことや学んだ多くをフル活用し、日々TAO里に足を運んでくれるお客さんを心地良く迎えいれたい。子どもたちが夏休みの宿題で絵日記を書く、その絵日記にTAOの事が書いてあり、その絵には僕達YELLOWが描かれていればいいなと想う。
この夏、赤兜LIVEにお越しくださる方々、また、YELLOWを応援して下さる方々へ、
YELLOWが戻ってきました!この夏一番の思い出になる様、僕たちは力をあわせ全力で頑張ります!粋で凛としたYELLOWの新鮮さをどうかお楽しみください。

2009年7月16日

北海道から福岡へ帰る飛行機の中にて

江良 拓哉


皮肉なものだ…

北海道から、九州まで約三時間。


車で何時間もかかった道のりは空の移動にはとても叶うはずもなく、窓に映るかすかな大地に想い出を重ね、いたずらに過ぎ去る景色をただぼんやりと僕は見ている。

そう、全国ツアーが終わったのだ。

たくさんの笑顔を見てきた。
たくさんの涙を見てきた。
たくさんの出会いもあった。
たくさんの失敗もあった。
たくさんの喜びもあった。

抽象的にしか説明できないほど、多くの思い出が僕の宝物となった。
そして、この宝物をTAOの演奏を持って、感動というプレゼントに変えて。
大空から、もっと沢山の人に送り届けたいと思っている。

と、言葉に綴るだけなら簡単だが、実行するのはなかなか難しいのだ。
簡単に語った前例を成し遂げるほどの実力を僕はまだ持ち合わせていない。
しかし、僕がもっと力をつけ、それを求め続ければ不可能では無い。
僕が、いや、僕達が目指すべきところであろう。

今回のツアーが成功したとか、しなかったとかそんな事は関係ない。TAOを観てくれる観客全ての人に最高のプレゼントを用意するのが僕たちの使命。
そのためにもっと成長して帰ってこなくては…。
もっと、もっと…

横切る雲の彼方に輝かしい太陽が見える。
僕の目指す道があの太陽のように果てしなく遠いところにあっても、きっと歩みを緩めず進み続けるだろう。


急いで走らせたペンもノートもそこに置き、ちょっと物思いに耽ってみた。
手を頭に回す、そんな仕草がお似合いの乗客室の中、そんなことを思い、気付けば見慣れた福岡の町並みが夕日に照らされていた。
最後に、観に来てくれた観客の皆様へ、
「僕は今回の経験で、さらに前へ突き進む事が出来そうです。
きっとまたみなさんに、お会いできる日が来ると思っています。
そのときまでこの宝物は大事に暖めておきます。
ビックリするようなプレゼントを期待していてください。
本当にありがとうございました。」

2009年7月15日

帰路の機内の中で

7月15日 谷中 宏康

札幌からの帰りの飛行機の中での出来事。


子供づれの女性のかたの隣の席に私は座った。
見ればおなかの中にももう1人いるのがわかる。
小さな子供はまだ二歳だという。
「名前は?」と聞くと「一慶」と答えた、いつきというらしい。
色々話していると、彼がなついてくれた。
子供がいる自分には、懐かしくも、親しみもある。


彼に車のマグネットを貸してあげたときのこと。
一慶は道なき道を「ブー」と車を走らせた。彼には、道が見えているのだ。
普通に見るとただのシート、でも、イメージしただけでそこには無数の道が・・・
これは、私には出来なかった発想、忘れていたのかも・・
何か子供の純粋さに無限の可能性をみた、うちの子供も確かにとんでもない発想をする。
たった2時間のフライトでこんなに小さな子供から大切な事を学んだ。

最近は、自分の実力の無さに苛立ち、評価される人を見て悔しくて、何か純粋に音を、発想を楽しむことを忘れていた。
とても気持ちが変わった、ありがとう、小さな一慶君。
私は、君のお陰で舞台、演奏に、新しい気持ちで挑める。
大きくなったら、家族で見に来てね。(ちらしを、渡して、宣伝を・・・)
楽しい世界へ、導いて見せます。
悔しいという気持ちだけでは良い演奏は出来ない・・・
そんな事を考えているうちに、札幌から飛び立った飛行機は無事福岡に着陸。
迎えに来てくれたマネージャー達に、「お疲れさま、凄い反響だったみたいだね!」と言われ、かっこ良く笑って「ただいま!」と言っている先輩を見ると、やっぱり悔しい・・・


畜生、いつかオレも「ただいま!」とかっこ良くかえって来れるようになってやる・・・。

2009年7月 7日

つかの間の休息…

江良 拓哉


予想以上の盛り上がりをみせた名古屋公演が終わり、僕らは一旦九州に帰り、体制を整える事になった。

久しぶりのOFFだ。

いつもなら福岡市内へ行って、買い物や、美容室に行ったりするのだが、今回僕は久住でゆっくり羽を伸ばすことにした。
みんなは出かけてしまって、残った研修生と、準レギュラーのメンバーが残っていた。さすがにこの人数だとグランディオーゾは静かで、テーブルに座っているだけで、草が風に吹かれる音や、小鳥の鳴き声が伝わってくる。
いつも戦場のように人の行きかう賑やかなレストランも今や、冷蔵庫の電気音が聞こえてくるだけ…
先日の名古屋公演のフィナーレとは正反対すぎる空気がこれまた面白く、ただなんとなく誰もいないレストランの静寂な空間を楽しんでいた。


一歩外に出ればそこは少し雨雲のかかった久住山が見えた


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「ひさしぶりに走るか」
ツアーに出てからというもの、怒涛のように流れたスケジュールの中で、こうやってゆっくり久住を走るのはじつに約一ヶ月ぶりのことだった。
酸素は薄いけど慣れている道のせいか随分楽に感じた。

空は青、大地は緑。里は赤…?
「さすが丸山先生…  バッチリ目立ってますよ!」
帰り道に姿を見せた新稽古場 [赤兜] 世界的建築家の丸山先生がデザインしてくれた。
これから先どんな喜びを一緒に分かち合うことになるのか楽しみだ…
ちなみにデビューは八月。
(※意味不明な方はこちらをごらんください。)

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汗の付いたシャツを脱ぎ、即行で向かった場所…
新別館風呂!!
ついにやり遂げてやった行為。
《昼真っからのグランディオーゾ優遇風呂》

日頃の生活では不可能に近い行為を実現した時の満足感は言葉にならないほど贅沢だった…

お風呂から出ると作業中の研修生が「お疲れさまです」とあいさつしてきた。
(お風呂入っただけですし、そちらのほうこそお疲れ様です。)
と心に思いながらカッコつけて「お疲れさま」と言い放ってやった。
僕も逆の立場の時にそんな姿を見て(マジでいち早くレギュラーになりてぇ)なんて思ったものだ……

隠し持っていたスターバックスのエスププレッソ(ミラノ)を飲みながら、パソコンの前に着く。静寂な空間に何人かの話し声が混ざってくるのがわかる。マイケルについての話しも聞こえる。
パソコンに電池が残り10パーセントになってきた!!
やばい…

しかし、もはや僕自身はこのOFFで充電満タン!!

さぁ再び全国ツアーに出陣!!

次は大阪・夏の公演へ!

※たまにはこんなプログもありかなって… 


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2009年7月 7日

起死回生

谷中 宏康


名古屋公演が終了した。


歓声が最後まで途絶えることなく、ダブルアンコールまであった。


その観客の中に、私の家族がいた。


搬出の中、社長の配慮で家族と再会。


子供から、「すごかったね、いろんな太鼓叩いてかっこ良かったよ。」

この言われた言葉よりも、この舞台を見て眼が生き生きしていた事が本当に嬉しかった。

妻の眼からも、言葉からも、感動した事が伝わった。
正直、この舞台に立つのに、1年以上かかり、3年目にしてやっと家族に見せる事が出来た。解ってはいたが、簡単なことではない。

今まで己の思いの為に、家族にとてつもない苦労をかけてきた。
正確に言うと、まだ今も・・・だが。

いろいろと問題もあった、家族崩壊の危機なんて、数え切れない程訪れていた。
その度に、「一度、舞台をみてくれ。」
と、謝りながら言ってきた。
(舞台を見てくれたら、変わる、皆が変わると確信していた。)


その時が、今回の名古屋公演だったのだ。
子供に対しても、父として・・・不安が耐えなかった。
が、しかし、それでもTAOで生きていきたいと強く思う。
「創意と工夫 そして 継続に才能は宿る」という言葉と、上を見て強く生きている先輩達の目の奥の情熱を信じているからだ。


名古屋公演から、2、3日たったある日、家族が変わり始めた。
子供達が、「習い事をしたい」と学ぶ事に積極的に向かってきた。
妻が、何事に対しても、明るく前向きに考えはじめた。
母親が、「あんたが頑張っとったから、私も、」と、より元気に、全てが変わり始めた。


正に、起死回生。


やはり、信じた事に間違いはなかった。
やっと、スタートラインに立てた気がした。
8月には、イエローのリーダーとして「赤兜ライブ」がある。
ベストのステージを常に目指して日々、精進する。

家族持ちの全ての人へ、
「信じ抜く事。」必ず、少しずつ、光が見えるから。


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2009年7月 7日

東京公演に向けて

岸野 央明


『家族や友人に成長した姿をみてもらいたい!』
地元の公演となると当然力が入る。
それ自体は悪い事ではないが、力みは太鼓の天敵だ。どんなに練習を積み重ねても、ガチガチに力が入ってしまっては、それを発揮する事は出来ない。

張り切りすぎて、最悪の結果となった前回の教訓だ。

バチが思うように動かず、演技に集中できない。なにひとつ表現する事ができずに終演してしまった。
あの時のいらだちと、どうしようもない後悔の念は、今も心の中にどっしりと居座り続けている。

『どんなに特別な公演であっても、それは何百公演のうちの一つにすぎない!』
プロデューサーの口癖を肝に銘じ、目前に迫っている東京公演では、肩の力を緩めて挑みたい。

自分個人ではなく、チームTAOとしての実力を存分にみせるつもりだ。


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2009年6月29日

5階席からの手拍子

森藤 麻記

「人が豆に見える・・・。」
今日の公演ホールである愛知県立芸術劇場、5階席最後尾に座ってみた時の感想。

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6月28日名古屋公演は、TVの特番の効果のお陰か早々と2500席完売。

5階席・・・、この席に座った人まで同じ様に楽しんでもらうには・・・。
表情まで見える事はない。いつも以上に身体中で表現しよう。
とはいえ実際、伝わるのかどうか・・・。

最後、アンコール曲「QUEEN」で、会場全体の客電がつき・・・・・・見えました!!!
5階席の皆さんが手拍子して楽しんでる姿が・・・。
感無量。こちらが感動です。
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アンケートの中にも、今日の会場は全体が一つになりました!!というコメントがありとても嬉しかったですね。
毎回、アンケートやお便りを頂いて感じますが、TAOの公演には本当に色々な思いを抱えて観に来ている人が沢山います。
子供にこの感動を伝えたいというご両親から、毎回家族、ご夫婦で楽しみにしてる方、病気と戦っている方、大切な家族を亡くされた方、初のデートに誘って恋人と来たり、誕生日のプレゼント、結婚記念日に、など本当に様々。
一つ一つアンケートを読みながら、時には笑い、時には切なく涙してしまう事も。

色々な想いがTAOを通して一つになり、皆が幸せな気分になれますように。・・と、
この瞬間は皆で楽しみあいたいと思って本番を迎えます。なので、会場の一体感を感じたときは本当に幸せな気分です。
それぞれの想いをスカッとさせて貰えたらこんなに嬉しい事はありません。

人生一度きりだから、なんて言葉に重みを感じるようになり始めた今日この頃。
私自身もこの喜びがあるから明日も頑張っていけるのです!!

公演終了後、打ち上げの時にサンデーフォークさんから、大入り袋頂きました。
感激感激。ありがとうございました。
今日の思い出と共に大切にします!!!
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森藤 麻記

2009年6月26日

これがTAOです!

原崎 太郎


「よっしゃ、いっちょやったろうやないかい・・・!!」
とにかく、とにかくやる気まんまんだった。気持ちだけは最高に高ぶっていた。
自然とこんな事を呟いて、僕は開演前の、まだ緞帳の下りた舞台の中へと向かった。

TAO初めての広島公演。大盛況だった九州・沖縄公演と違い、1200人収容の会場にはなんと500人に満たないお客さん。だいたいの集客数を前日に聞いてはいたが・・・。いつも溢れんばかりのお客さんに慣れっこだった僕たちにとって、TAOの名前がまだ浸透していない土地での公演、つまりこの広島から始まる全国縦断ツアーは本当に「挑戦」という感じだ。
しかし、いくら数が少ないとはいえ、そこには紛れもなくTAOの公演を楽しみにしている人たちがいる。それは間違いのない事実だ。だったら、せっかく観に来てくれた人たちには、これでもか!というぐらいショーを楽しんでもらいたかった。「これが、九州で大旋風を巻き起こしているTAOのショーです!!」ひたすらこんな気持ちで2時間の公演をやり抜いた。結果は・・・最後列に座っていたお客さんが真っ先に立ち上がるほどの、スタンディング・オーベーション!!半分以上が空席の会場において、お客さんとのあの一体感と熱気はそうそう感じられるものではない。
きっと、メンバー全員が同じような気持ちでこの日の公演に臨み、最後の演目が終わった時には同じように感じたのだと思う。緞帳が下りたばっかりの、舞台中でのみんなの表情はほんとにすがすがしいものだった。
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満足にお客さんが入らないことがちょくちょくあるヨーロッパでの公演。その中でそれぞれがもがき、苦しみ、みんなが一丸となってより良いショーを目指してきたことが今回の公演に繋がっているのだと、そう思った。

広島公演。僕は大成功だったと思います!!広島のみなさん、次は友達を一人ずつ連れてきてください。そしたら次回は1000人です!本当にありがとうございました!!
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追記:個人的には、演奏についてプロデューサーから終演後きついダメ出しをもらいまして、プロである以上、気持ちだけではやっぱりダメだと猛省している次第です(涙)。
愛知でリベンジです!

原崎 太郎

2009年6月25日

夢幻響という曲

岸野 央明


今までの和太鼓界には無かった、全く新しいスタイルの曲である。
なんと太鼓を使わない。素振りのパフォーマンスと口唱歌(声だけで楽器の音を表現する、普段は私たちの練習方法の一つ)だけで演奏していく。
世界初エアー太鼓だ。
和のモダニズム、和太鼓をより現代的に、そして斬新なスタイルで表現したいという発想から生まれた。

2008年、凱旋公演の製作期間中、私は一枚のスケッチと譜面を片手にプロデューサーのもとを訪ねた。何か発想したら、実際に行動に移す前にプレゼンを行い、全員の同意を得るのがTAOのルールだ。
その発想が良いのか悪いのかを判断しもらい、良いならばさらに精度を高めるためのミーティングを何度も繰り返す。
私はこのとき新曲のアイデアを発表した。曲の全体的なイメージ、構成、断片的なフレーズを使い説明していく。自分の感性がもろに試される瞬間だ
必死で話を進めていく私の目に、何かを夢中でスケッチしているプロデューサーの姿が、目に飛び込んできた。 “ヨッシャ!” プロデューサーのその行動から充分な手応を感じた私は、拳をぐっと握りしめ、こみ上げてくる喜びを抑えた。

結果から言うと、このとき感じた手応えは勘違いだった。
私のアイデアは採用されなかったのだ。有りもしない手応えを感じ、喜んでいた自分をとてつもない自責の念が襲う。穴があったら入りたい、穴が無ければ掘ってやる。そんな心境だ。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。私の話をキッカケに、以前からあたためていたエアー太鼓の構想が固まったとプロデューサーが言った。

かくして私が発想した曲は、一瞬の間に全く別の姿に生まれ変わった。
多少の悔しさは残るが、完成した作品を見れば、あの時のプロデューサーの判断が正しかったのは明らかだ。

まだまだ未完成の曲だが、今回の教訓に従い、様々な意見を柔軟に取り入れつつ、本当の完成を目指している真最中だ。

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岸野 央明

2009年6月24日

忘れられない一週間

岸野 央明

2009年5月、以前からTAOの中で出ていた新作CD制作の話が実現した。


音楽プロデューサーには奈良部匠平さん、サウンドディレクターには伊東俊郎さんという最強タッグを迎え、出来たばかりの新稽古場『赤兜』での録音。


当初の予定では、録音作業は二週間程度で終了し、残りの二週間で手直しを繰り返して完成させようという、まぁ…TAOとしてはとてもゆったりとしたスケジュールだった。

今思えば浅はかである。


自分で自分をどついてやりたい。


制作開始日までに用意しておかなければならない事前準備が遅れていたせいもあるが、基本的に「なめていた!」作業がまったく思うように進まない。

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『一日一曲録ればいいんでしょ。二週間もいらないでしょ!』
と、言っていた水藤リーダーが憎くてしょうがない。


以前作ったCDは、全員での演奏を同時に録音するという手法だったが、今回は太鼓や笛、声など、すべての物を別々に録音するという手法。それによって演奏の精度は格段に上がり、理想的な音を作り出すことは出来たが、非常に時間がかかる。
単純に計算しても十人で演奏している曲なら、十倍の時間がかかるということだ!( 実際には十倍どころではない。)


それに加え,普段は仏のような人柄の奈良部プロデューサーが、鬼のようなダメ出しを連発。時にはなかなか合格がもらえず、同じシーンを何十回もやり直すという事もあった。


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結果、三週間を過ぎて完成したのは四曲だけ、収録予定曲は十二曲。危機的状況だった。
TAOプロデューサーからも制作の中止を告げられたが、『絶対に完成させたい!』という全員の強い思いで、なんとか最後のチャンスをもらい、一週間毎日徹夜で録音を繰り返した。


最終日の午前七時、なんとかすべての作業が終了。メンバー、制作スタッフ、みんな睡眠不足で体はボロボロなのだが、顔はとてもすっきりとしていた。出来上がったものに満足し、自信があるからだ。


早速TAOプロデューサーのチェックを受ける。


いくら自信があってもこの瞬間だけは、心臓が飛び出るほどドキドキする。
全ての曲をチェックが終わり『よし!OK』と言われた時、全身の力が一気に抜け、涙が出るほど嬉しかった。


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TAOの総力を結集した最新アルバム『浮世夢幻打楽』近日発売!


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岸野 央明

2009年6月24日

奄美の海にて

原崎 太郎



大島や 白波紬ぐ TAOと彼の地(字余り)


季語もへったくれもない、ただ字数だけを合わせただけの(いや、字数さえも合っていませんね・・・苦笑。)俳句をつい詠みたくなるほど、この島への到着の時には感慨深いものがありました。


沖縄から豪華客船ならぬ豪華フェリー・クィーンコーラルプラス号に揺られて13時間半、太鼓と音響・照明機材を積んだ4tトラック3台は次なる目的地の奄美大島に到着。

時刻は夜8時半をまわり、暗闇のなか名瀬港に入港するフェリーの甲板から港を見下ろすと、島民のみなさんと涙・涙のお別れをした一年前の光景が昨日のことのように鮮明に浮かび上がってきました。


・・・映画なんかであるような、船の上と下とでカラーテープを手に取り、手を振り旗を振り、そして港を発つ船
・・・そう、そうです、生まれて初めてあれをやったのがこの奄美大島だったんです!
それを思い出した瞬間、13時間半の船旅の疲れも全て吹き飛んでいました。


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写真:1年前の別れの様子。水藤リーダーと共に

大島紬、黒糖焼酎、鶏飯(けいはん)、そして知る人ぞ知る、日本一のエンターティナーショー「ハブと愛まショー」、などなど、この島の名物は枚挙に暇がありませんが、何より人の温かさが一番の島です!


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島のみんなを、特に子供たちに本当の感動を味わってもらいたいという、一人の人の一途な強い思いが実現させた2度目の奄美大島公演。
それほどまでにTAOを必要とし、愛してくれる人たちと出会えた事に感謝し、そのみなさんの気持ちに精一杯応えるべく、最高のショーを明日はお届けします!
みなさん、どうぞ期待していてください!



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原崎 太郎

2009年6月23日

奄美の竜宮

佐藤 和哉


「10年前はねぇ、竜宮城だったんだよ・・・」

奄美大島特産の「生サトウキビジュース」を作ってくれた海の家のおじさんが、寂しそうに言った。


今回、生まれて初めて奄美大島の土を踏んだ僕にとって、この地はとりわけ興味津々だった。
前回の奄美公演に参加できなかった悔しさが沸々と煮えたぎらないわけでもなかったが、それ以上にやはり、この島に来ることができたことが嬉しかった。なぜなら、奄美大島といえば、元ちとせさん、中孝介さんといった、ミュージシャンの故郷。いずれも土地柄を色濃く反映したかのような歌声をもつ、僕の大好きな歌手の方々である。そんな人たちの感性を育んだこの島は、僕にとって憧れの地だったわけである。


昼食に奄美名物“鶏飯”を美味しさのあまり吐くほど食べて、休憩場所として連れてこられた《奄美の竜宮》というスパ施設にてお楽しみの自由時間をもらった。ぜひとも奄美の海を体感したい僕は、前日の沖縄でのクルージングで真っ赤に日焼けして苦しんでいる他のメンバーに後ろ髪引かれる思いを振り切り、海に飛び込んだ。

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海中眼鏡越しに目に飛び込んできたのは、鮮やかな原色に体を彩った熱帯魚たち。塗料の色とは段違いの自然の色の鮮やかさに、思わず胸が躍る。色んな種類のウニが大量に住み着く奇抜な形の岩場の間を、リズム感たっぷりに魚たちが泳ぎまわる。


綺麗だった。


が、岩場以外の場所は、真っ白になったサンゴの瓦礫がびっしりとしき詰まっていた。美しい魚たちにちょっと不似合いな光景に違和感を感じながらも、僕はあわよくばウミガメかイルカに遭遇することを期待しながら、泳ぎ回り、奄美の海を味わいまくっていた。気がつくと、ちょっぴり雨模様。そろそろ皆のもとに帰ろうと思い、借りていた海中眼鏡やフィンを返却しに海の家に向かった。


「どうだったね?」と笑顔で話しかけてくれた海の家のおじさんに、出会った生き物たちがすごくキレイだったことを話すと、
「昔はね、もっともっと綺麗だったんだよぉ。いろんーなサンゴがたっっくさんいてね、魚ももっといいーっっぱいいてね。それがねぇ、10年くらい前かな、台風が来なかったことがあってね、サンゴがみーんな死んじゃってね・・・。」


なんでも、サンゴは年に一度は台風によって海水が混ぜられないと、海水の温度などの関係で死んでしまうらしいのだ。あのサンゴの瓦礫全てが生きたサンゴであったことを想像すると、とんでもない美しさだったことは間違いない。


「10年前はねぇ、竜宮城だったんだよ・・・本当に。見せてあげたかったなぁ・・・」


能天気なイメージの南国には不似合いな寂しそうな目が印象的に僕の胸に焼きついた。


「明日はがんばってよぉ!」


途端に南国モードに切り替えて、おじさんが笑った。


頑張ろう・・・と思った。僕らにできる最高の演奏で、この島の人たちに勇気とやる気を起こしてもらい、一度は死んだ広大なサンゴ礁を取り戻し、奄美大島の観光客数を大幅に増大させ、この島を沖縄を越えるリゾートアイランドにしてみせる!!・・・・なんて思えるほど僕は大きな人間ではないんです。ごめんなさい。
そこまではさすがに無理だとしても、明日は心から笑って、感動して、生きている実感と喜びを感じてもらいたい。そう、思った。


明日は、全力以上の演奏ができるような気がした。
奄美という島が、大好きになった。

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2009年6月20日

明日へ向かって

西 亜里沙

先月から始まった約2ヶ月間の全国ツアーはあっという間に終了してしまった・・・・。
沖縄から北海道まで、どこでも想像以上の反響で嬉しさと驚きの連続だった。
会館へ来て下さった皆さんが書いてくれたアンケートには、感動の言葉や指摘等ぎっしり書き込まれていて、いつも読みながら反省させられ、励まされる。
ある人は、「妻に無理矢理、連れてこられました・・・・でも、来て良かった!妻に感謝です。夫婦共通の楽しみができました。また二人で来たいと思います。」とか「これからも病気に負けず戦って行きます」とか「最近、嫌な事ばかりで気が狂いそうでした・・・すっきりしました!!!明日から頑張ります!」とか、仙台の方では「地震で家族を亡くし、今日までただ生きてきました。TAOのライブを見て、もう一度やり直そうと思いました。頑張ってみます。」など、沢山の気持ちが込められたこれらのアンケートは私にとって、とても大切な物。
九州から全国へ飛び出した、TAOの名前は確実に覚えてもらえたはずだ。
全国ツアー中、スタート時の不安と期待が入混ざったドキドキ感から次回の全国ツアーに向けてのワクワク感へと変わっていった。
演奏自体は全てが大成功!という訳ではない・・・


どんなに会場が盛り上がっても、スタンディングがあっても、なかなか完璧な舞台は出来きないものだ・・・課題は沢山ある。
「浮世夢幻打楽」はいよいよ全国へ、世界へとスタートした。
もっともっと観客の期待を裏切って、心の中の元気のスイッチをONにする楽曲を作りたい。そして心に染み渡り、感動を共有できる舞台を目指して、日々進化し続けて行きたい。
「僕は大きくなったらTAOになりたいです!」と目を輝かせる少年の為にも、「あんた達とまた合うまでは死ねん!」と涙を流すおじいちゃんの為にも、夢と勇気と希望を与えられるTAOでありたい。


TAOの空気で包み込み、優しく癒しながら、明日へ向かってドーン!と背中を押してあげたい。


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